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ダニーロ・クレメントーニ

地球への旅

アザキスとペトリの冒険

イタリア語(原版)タイトル:Il ritorno

訳:大森佳子


本書はフィクションです。本書内で言及される人名、名称、キャラクター、地名、組織は原作者による想像の産物であり、物語に真実味を与えるためのものです。実在の出来事や人物(現在存命であるか否かを問わず)に類似した言及があるとしても、それは純粋に偶然によるものです。

地球への旅(Il ritorno)

Copyright © 2013 ダニーロ・クレメントーニ(Danilo Clementoni)

初版(原版):2013年11月発行

日本語版初版:2017年7月発行

日本語版翻訳者:大森佳子

自費出版・印刷

facebook: https://www.facebook.com/danilo.clementoni

ブログ: dclementoni.blogspot.it

e-mail: d.clementoni@gmail.com

無断転載禁止。本出版物のいかなる部分も、編集者の書面による許可なく、機械的・電子的手段を含むいかなる手段によっても複製することを禁じます。ただし、レビューの目的での短い部分的な抜粋はこの限りではありません。

私の物語をより良いものにし、私自身をより良い人間にする助けとなる貴重な助言をくれた、忍耐強い我が妻と息子にこの本を贈ります。

尽きることのない支援を提供し、この作品を完成させるよう励ましてくれたすべての友人に、特に感謝します。彼らなしに、光を見ることはなかったでしょう。

本作品の日本語版への翻訳に情熱を持って取り組んでくださった、大森佳子女史に感謝します。

「我々は今、再び地球へと向かっていた。あの惑星から急いで去ることを余儀なくされて以来、この星では、一太陽年しか経っていない。しかし、地球では3,600年もの歳月が流れていた。

我々は、そこで何を目にするのだろうか?」

イントロダクション

シュメール人の間ではニビル(交差する惑星)と呼ばれ、バビロニア人にはマルドゥック(天の王)として言及される第十二番目の惑星は、実際には3,600年の周期で私たちの太陽の軌道上を公転している天体である。その軌道は大きな楕円を描いており(他の惑星とは逆方向に太陽の周りを公転)、太陽系に対し著しく傾いている。

周期的な接近が繰り返される度にほぼ毎回、太陽系で大規模な惑星間の大変動が起こり、太陽系を構成する惑星の軌道と構造に影響を与えてきた。火星と木星の間に位置し、現在の地球の約九倍の質量を持ち、その豊かな水で十一の衛星に恵みを与えてきた荘厳たる惑星ティアマトは、ある時の激しい大変動の際、激しい衝突により破壊された。ニビルの周りを巡る七つの月のうちの一つが衝突し、巨大なティアマトは真っ二つに割れ、割れた天体の二つの破片はそれぞれ軌道をはさんで正反対の方向へと投げ出された。その次に起こった変動(創世記では「二日目」)では、ニビルの残りの衛星がこの破壊に追い打ちをかけ、前回の衝突で生じた二つの破片のうちの一つを完全に消滅させた。この時、複数の衝突により生じた残骸が、現在「小惑星帯」、あるいはシュメール人が言うところの「砕かれた腕輪」として知られているものである。この残骸の一部は近くに位置していた惑星に吸収された。特に、木星は残骸の大部分を取り込んだことで、その質量を著しく増加させた。

ティアマトの残骸を含め、この惨事により衛星が残した遺物の多くは軌道外に放たれ、私たちが現在知るところの「彗星」となった。二度目の大変動で破壊を免れたもう一方の破片は、今では火星と金星の間の安定した軌道上に位置し、最後に残った衛星と連れ立って公転している。これが現在の地球と、その切っても切れない友、月である。

約四十億年前の宇宙衝突の爪痕は、今でも部分的に見てとれる。その爪痕は完全に水で満たされ、現在では太平洋と呼ばれている。太平洋は地球の表面の三分の一を占め、1億7900万平方メートル以上にわたって広がっている。この広大なエリアには事実上、大陸はないものの、陥没は深く、その深さは十キロメートル以上にも達する。

現在、ニビルの構造は、地球と非常に似通っている。三分の一は水で覆われ、残りの部分には、合計面積一億平方メートル以上の一つの大陸が南北に伸びている。何百、何千年もの間、その近さ故、ニビルの住人らは私たちの惑星を周期的に訪れ、その度に文化、知識、技術の発展、そして人類の進化そのものにも影響を及ぼしてきた。先人達はこの訪問者を様々な名前で呼んできたが、いつの時代にも最も的確に彼らを言い表してきた言葉は「神」だろう。

宇宙船シーオス ― 木星より1,000,000キロメートル

アザキスは暗い色合いの自動形状形成肘掛け椅子の上で気持ちよく伸びをした。年老いたクラフトマンの友人が初めての惑星間ミッションの際に自作したその椅子を、数年前に贈り物として譲り受けた。「この椅子はツキを呼び寄せるんだ。必要な時は、リラックスして適切な判断を下すのを助けてくれる」椅子を譲る時に、老クラフトマンは言った。確かに、この椅子に腰かけながらいくつもの判断を下してきたし、たいていの場合、運は彼に味方した。この椅子に腰をかけると、いつもその時のことを懐かしく思い出した。ただ、椅子に腰かけるのを妨げるような規則がいくつもあり、特に今乗船しているこのボウセンIカテゴリーの宇宙船にはそのような規則が多かったが。

まだ目的地からは遠く離れた4.2 AU1 の距離を目でたどっている間、右手の親指と人差し指の間にはさんだ葉巻から、かすかに青みがかった煙が一筋、すっと垂直に上がった。この旅を始めて数年になるが、周囲の宇宙の暗闇と、その中にきらめく幾千もの星の魅力は今でも彼の心をとらえた。目の前にある大きな楕円形の開口部から、進行方向にあるものを完全に見渡せた。このごく薄い力場が惑星間の空間の寒さから自分を保護し、空気が急激に漏れ出して船外に吸い出されるの防いでくれていることに、未だに驚かされる。下手したら、即死だ。長い葉巻をすっと軽く一服し、手元のホログラフィー・ディスプレイに視線を戻した。疲れきって髭の伸びた旅の連れ合いの顔が見える。船内の別の場所では、ペトリが排出ダクトの制御システムの修理にあたっていた。慰みに、今吸った煙をディスプレイに吐きかけて波のようにくゆらせ、画像の真ん中を歪めてみる。エキゾチック・ダンサーのしなやかな動きを思いだす。勤務からようやく解放されて生まれ故郷に戻り、いくらか休息できる時間がもてると、よくそのダンサーのところに通ったものだ。

じきに三十二歳になる友であり旅の連れ合いでもあるペトリにとっては、この種のミッションは四度目だ。ペトリに会ったことのある者は皆、その大きな堂々とした体格に否が応でも畏敬の念を抱く。宇宙の闇のように黒い瞳、肩にかかったぼうぼうの長い髪、ほぼ二メートル三十センチの長身、そしてネビル2 の成獣を軽々持ち上げられる力強い胸板と二の腕を持ちながら、幼子のような心を持った男。太陽の光の中にソール・フラワー3 が咲いているのを見ては心打たれ、サラーン湾4 の象牙色の海岸に打ち寄せる波を飽きもせず何時間も座ってうっとりと眺めていられる。感嘆すべき人間、信頼が置け、誠実で、必要とあらば、一瞬もためらうことなく自分の命を投げ打つことさえできる、そんな男だ。ペトリがいなければ、この旅に出ることもなかっただろう。アザキスにとって、決して裏切ることのないこの男は、盲目的に信じることのできるただ一人の人間だった。

太陽系内の航行に合わせて調整された宇宙船のエンジンが、昔ながらの頼もしい二相の唸り声をあげた。熟練者として、その音が宇宙船が順調に機能していることを意味することが分かった。聴覚の鋭い彼は、高性能の自動制御システムが感知するよりずっと前に、調整室内のわずか0.0001ラッシグ単位の音の変動を聞き分けることができた。まさにこの能力により、この若さでペガサス級の宇宙船の指揮を任されていた。

この地位に就けるのならどのようなことでもするという人間は星の数ほどいたが、選ばれたのはアザキスだった。

眼球内に埋め込まれたオーコムが、目の前にある距離を具体的に割り出すため、航路を再計算した。このたった数ミクロンの物体が果たす機能には、感嘆させられる。視神経に直接挿入されたオーコムは、制御コンソール全体を見渡せるよう、今実際に見ている風景に制御コンソールの画像を重ねることができる。はじめのうちは、その魔法のような機能に慣れるのは容易なことではなく、一度ならず御しがたいほどの吐き気に襲われたこともあった。でも今では、これなしには仕事ができない。

雄大な美しさをたたえている太陽系全体が、アザキスを取り囲んで一斉に回っている。巨大な木星の近くにある小さな青い点は、彼らが今乗っている宇宙船の位置、以前のラインよりわずかにカーブした新しいラインを描きつつある赤い細い線は、地球へ向かう新たな航路を示していた。

太陽系最大の惑星の引力には注意が必要だ。安全な距離を保つことが絶対的に重要であり、シーオスがその死の抱擁から逃れるには、二基のボウセン・エンジンのみが頼りだ。

「アザキス」目の前のコンソールに取り付けられた携帯通信装置から、しわがれ声が聞こえてきた「第六コンパートメントの連結器の状態をチェックする必要がある」

「まだやっていなかったのか?」相手を怒らせるのを承知で、戯れに言ってみる。

「その臭い葉巻を捨てて、こっちに来て手伝えよ!」ペトリが怒鳴った。

そう来ると思った。

今やっていたことを、大いに楽しみながらも手早く終わらせた。

「今行く、今そちらに行く。もう向かっているところだ、友よ。そんなにかっかするな」

「早くしろ。俺は四時間もこのクソ仕事を続けてるんだぞ。冗談を楽しめる気分じゃないんだ」

ペトリは相変わらず不機嫌な口調で言ったものの、結局は、何があっても、また何者も、彼らを分かつことはできないのだ。

アザキスとペトリは子どもの頃からお互いを知っていた。ペトリ(子どものうちから、他の子どもによりもずっと体格が良かった)はアザキスがいじめっ子にぶちのめされそうになっているところを一度ならず助け、その大きな体を武器に、アザキスと、彼を頻繁にいたぶるいじめっ子グループの間に割って入った。

少年の頃、アザキスは魅力的な異性が自分を取りあうほどの男に成長するとは思えなかった。いつもだらしない身なりをした、丸刈りのガリガリの少年で、常にGCS5 にアクセスして、皆の十倍のスピードで膨大な量の情報を吸収していた。十歳にして、ずば抜けた成績により、同年代の子ども達の大部分にはまだ許されていない知識を得ることのできるレベルCのアクセスを許可された。ただし、この種のアクセスを可能にする、神経に埋め込まれたノーコムには、いくつかの軽度な副作用があった。情報を得る段階では100%の集中力を要する。多くの時間をこのために費やしていたので、アザキスは大抵、あらぬところを見つめ、周囲で起こっていることから隔離され、うつろな表情をしていた。事実、長老達の見解にもかかわらず、彼は周囲の人々からは少し知能が遅れているとみなされていた。

アザキス自身は、それを気にしたことはなかった。

彼の知識への渇望はとどまるところを知らなかった。夜間でさえ、絶えずノーコムに接続していた。睡眠中は、絶対的な集中力を必要とする知識獲得の能力は1%(この1%でどのような知識が獲得されているかは未知である)にまで低下したが、人生のうち、一瞬たりとも自分の文化的素養を発展させる機会を逃したくはなかった。

アザキスはかすかな笑みを浮かべて起き上がり、友の待つ第六コンパートメントに向かった。

惑星地球 - イラク、テル・エル=ミカイヤル

エリサ・ハンターは、額のいまいましい汗の粒を今一度拭おうとした。汗は彼女の鼻をゆっくり伝い、熱い砂の上に落ちようと決めてかかっているようだ。もう数時間も砂の上に膝をついて作業していた。なくてはならない仕事道具であるマーシャルタウン社製のこて6 で地面をやさしく掻き、墓石の上部のように見える砂の中に埋もれた物体を傷つけないように掘り出そうとしているところだった。しかし、当初からこの理論については確信を持てずにいた。エリサはウルのジッグラト7 近くでほぼ二ヶ月にわたり作業を続けていた。彼女は考古学者としての評判とシュメール言語についての専門知識により、ここでの発掘活動が許可されていた。二十世紀に始まった最初の発掘活動以来、いくつかの墓が発見されていたが、そのうちのどれでも、このような遺物は見つかっていなかった。四角い形とかなりの大きさがあることから、石棺というよりも、ある種の器の「蓋」のように思われた。何千年も前に、何かを保護する、または隠すために、そこに埋められた物。

残念ながら、今のところ上部のほんの一部分が露出しただけで、その下に埋まっている器全体の高さがどれほどなのか、まだ見当もつかなかった。蓋の露出している表面を覆うようにびっしりと彫られた楔形文字は、これまで見たことのあるもののどれにも似ていなかった。

解読するには何日もかかり、幾夜もの眠れない夜を過ごすことになるだろう。

「ハンター博士」

エリサは顔を上げた。右手を目の上にかざして日の光を遮りながら目をやると、助手のヒシャムが彼女のほうに急いでやってくるのが見えた。

「教授」ヒシャムは繰り返した。「基地から呼び出しです。どうやら緊急のようです」

「分かったわ。ありがとう、ヒシャム」

エリサは有無を言わさず割り込んできた休息を利用して、いつもベルトに下げて持ち歩いている魔法瓶から、ほとんど沸騰するほど熱くなった水を一口飲んだ。

基地からの呼び出し……それが意味することはただ一つ、何かまずいことがあったということだ。

エリサは立ち上がり、ズボンに付いた砂を払い、調査の基地になっているテントに向かってしっかりとした足取りで歩きだした。

彼女はキャンバス地の野外テントの半ば閉じているチャックを開け、中に入った。目が暗さに慣れるまで少し時間がかかったが、ジャック・ハドソン大佐の顔がモニターに映っているのは否が応でも見えた。いかめしい顔で空を見据え、画面の向こう側で、エリサが映し出されるのを待っていた。

大佐は公式にはナーシリーヤを拠点とする戦略的反テロリスト部隊の責任者ということになっていたが、彼の本当の任務は秘密裏の組織であるELSAD8 部門が委託・監視する科学的調査プログラムをコーディネートすることだった。ELSADはこの種の組織のすべてを統括する、常に謎に包まれた部門であり、その正確な意図と目的を知る者はごくわずかしかいない。唯一確かなことは、指揮系統が合衆国大統領に直属しているということだった。

エリサはそれは全く重要視していなかった。この探査への参加を承諾した本当の理由は、彼女が世界で最も愛してやまない場所へようやく戻り、好きな仕事ができるからだった。三十八歳という比較的若い年齢にもかかわらず、彼女はこの分野の研究では最も成功した科学者の一人だった。

「こんばんは、大佐。どのようなご用件で、お目にかかる光栄に預かれたのでしょうか」彼女はありったけの笑顔をつくって言った。

「ハンター博士、愛想を振りまかなくても結構。呼び出した理由は分かっているはずだ。君の任務の完了期限は二日前に切れた。これ以上の滞在は許可できない」

大佐は決然たる口調で言った。今回ばかりは、エリサの抗しがたい魅力をもってしても、これ以上の延期は無理そうだ。最後の切り札を使うしかない。

2003年3月23日に大量破壊兵器保有(後に、実際には保有していないことが明らかになった)とイラク国内でのイスラムテロを支援しているとの告発を受けた独裁者サダム・フセインを権力の座から降ろすことを明確な目的として合衆国率いる連合軍がイラクへの進攻を決定して以来、平時にさえすでに困難であった考古学研究のすべてが後退を余儀なくされた。2003年4月15日の正式な停戦は、地球上の至る所に文明が広がる前に人類史上最古の文明が発達した地に再び立ち入ることができると、世界中の考古学者の心に希望の火を灯した。2011年末にイラク当局が下した、「我が国の文化的遺産を引き続き強化する」ために、計り知れないほど歴史的価値の高い複数の現場での発掘を再開するという決定は、ついにその希望を確信あるものに変えた。国連の援助の下、そしてそれ以前にすでに無数の「当局」により調印、確定されていた多くの認可の下、適格な権限を持つ委員会スタッフにより選抜、監督された複数の研究グループが、期間限定でイラク領土内の考古学的価値が最も高い地域で活動することを許可された。

「大佐殿」エリサはウェブカメラにできる限り近づいて、大きなエメラルド・グリーンの瞳が彼女の望む結果を出してくれることを祈った「仰るとおりですわ」。

カメラの向こうの相手に敬意を示すことで、心証をよくすることができることを、彼女は知っていた。

「でも、あともう少しなのです」

「何がもう少しなんだね?」と大佐は椅子に座り直し、デスクにこぶしを乗せて、苛立たしげに言った。「もう何週間も同じ話の繰り返しではないか。具体的な結果を出してくれないことには、これ以上の支援は無理だ」

「今夜、夕食をご一緒する光栄に預かれましたら、その折に再度のご検討に値するものを喜んでお見せします。いかがでしょう?」

美しい微笑で白い歯がこぼれ、長いブロンドの髪を手でかき上げた。大佐を説得する自信があった。

大佐はしかめ面をして怒りの表情を保とうと努めたが、それでもこの申し出をはねつけることはできないと自分でも分かっていた。エリサには常に好意を抱いていたし、二人で夕食を共にするという考えにはそそられた。

四十八歳という年齢にもかかわらず、大佐にはまだ充分に男性としての魅力があった。たくましい体つき、彫りの深い顔立ち、短く刈り込んだ白髪混じりの髪、鮮やかな青い瞳から注がれる決然たる眼差し、さまざまな話題で談笑できる幅広い知識、そして、制服の高官としての疑う余地のない魅力により、彼は依然として「興味深い」男であった。

「いいだろう」大佐は鼻を鳴らした。「しかし、今夜こそははっきりとした成果を見せてもらおう。そうでなければ、今すぐ帰りの荷造りをはじめたほうがよかろう」できる限り厳然たる口調で言ったつもりだったが、どこか甘さが匂うのは否めなかった。

「八時までに支度をしたまえ。ホテルに迎えをよこそう」大佐はさよならを言わずに通信を終わらせた。

ああ、急がなくちゃ。暗くなるまで数時間しかないわ。

「ヒシャム」エリサはテントから顔をのぞかせて助手を呼んだ。「チームメンバー全員をかき集めて。できるだけ多くの人手がいるの」

発掘現場までの数メートルを足早に歩くと、背後で一陣の砂埃が舞った。数分後にはエリサを取り囲んでチームメンバー全員が集まり、指示を待っていた。

「あなたはあの角のほうの砂を取り除いて」一番遠く離れた石の面を指さして、指示を飛ばす。「あなたは彼を補佐して。気をつけてね。これが私が思っているとおりのものだったら、この現場を立ち退かずにすむかもしれないわよ」

宇宙船シーオス - 木星の軌道を航行中

小型だが快適な球状の船内移動モジュールが秒速約十メートルの速度で第三コンジットを走行していた。その先に、アザキスの旅の連れ、ペトリが待つ区画の入口がある。

シーオスも同じく球状の形状をしており、直径は九十六メートル、それぞれの長さが三百メートル余りの管状ダクトが十八本張りめぐらされていた。ダクトは十度の角度間隔で子午線状に宇宙船の全輪郭を覆っていた。内部は二十三階建て、高さ八メートルの中央の階(十一階)を除く各階の高さは四メートルある。それぞれの階へは、各階にあるコンジットの停車場から容易にアクセスできるようになっている。実際に、船内の最も離れた二点間を移動するのにかかる時間はせいぜい十五秒といったところだ。

モジュールにブレーキをかけると、ほとんど音も振動もなく止まった。かすかにシューと音をたててドアが開き、その向こうにペトリが立っていた。仁王立ちして腕組みしている。

「何時間待たせるんだ」いかにも納得いかないという口調だ。「そのいつも持ち歩いているくさい代物で、とうとうエアフィルターでも詰まらせたか?」実際には、葉巻はほんのかすかに匂う程度だ。

ペトリの挑発的な物言いは無視して、アザキスは携帯式アナライザーをベルトから引き抜き、親指でスイッチを入れた。

「これを持ってろ。急がなくちゃな」アザキスはそう言うと、ペトリにアナライザーを手渡しながら、もう一方の手で右側の連結器内部にあるセンサーの位置を探った。「到着予定時刻は約五十八時間後だ。それに、心配になってきてな」

「何が心配なんだ?」少し驚いた様子でペトリがたずねた。

「分からない。でも、何か良くないことが起こりそうな気がするんだ」

ペトリが受け取ったアナライザーが周波数を変えながら一連の音を発しはじめた。その音が何を意味するのかも分からず、アナライザーをまじまじと見た。ペトリはアザキスの顔を見つめ、その表情から何らかの説明が得られるかを探った。しかし、手がかりなし。アザキスは用心深い動作で別の連結器にセンサーを取り付けた。アナライザーが、またしても意味不明の音を発した。そして沈黙。アザキスはペトリの手からアナライザーを取りあげ、結果をよく確かめてから、笑みを見せた。

「すべて順調だ。続けよう」

ペトリはその時になって初めて、自分がしばらく息を呑んでいたことに気づいた。大きく息を吐くと、即座に緊張が緩んだ。ただし、小さな不具合とはいえ、連結器の故障はミッションに悪影響を及ぼす恐れもある。ペトリとアザキスは再度機器に向き直り、作業を続けた。この作業が終われば完了、もうすぐだ。

「ちょっと一風呂浴びてくる」体についた細かい埃を払い落しながらペトリは言った「コンジットに来てみると、いつもこんな具合だ……」そして上唇を歪めて付け加えた「これも修行ってことか」

アザキスは微笑んだ「じゃあ、後でな。ブリッジで」

ペトリはカプセルを呼び出し、次の瞬間にはその場を去っていた。

中央管制システムが船が木星の軌道を無事に通過し、スムーズに地球に向かっていることを告げた。アザキスは目をわずかにすばやく右に動かし、オーコムに再度航路を示すよう求めた。赤い線に沿って移動している青い点が火星の軌道にまた少し近づいた。カウントダウンは、到着予定時刻は今からきっかり五十八時間後であり、船は現在秒速3,000キロの速度で航行中であることを告げていた。アザキスの緊張は徐々に高まっていた。彼らの宇宙船は新型ボウセン・エンジンを搭載した初めての機体であり、これまでに用いられてきた宇宙船とはコンセプトが全く異なっていた。設計者はこの宇宙船は光速のほぼ十分の一の速度で推進できると謳っていた。だが、それを限界まで試してみるつもりはない。今のところ、処女航海としては、秒速3,000キロでも充分すぎる速度だ。

通常、シーオスには五十六名の乗組員が乗船できたが、最初の任務に当たっては、ペトリとアザキスを含むわずか八名のみが選ばれた。長老達はこれについて明確な理由を述べなかったが、アザキスらは、この旅の性質と目的地がその理由だろうと推測した。明らかに困難が伴う任務である以上、多くの人命を危険にさらすべきではない。

俺らは消耗品っていうことか? そんな言い草あるか。いつもしまいにはこんな風になるんだ。誰かの首をかけてやらなきゃならない時に、誰がそれを率先してやるかって? アザキスとペトリさ。

結局のところ、冒険におあつらえ向けの性格と困難な状況において答えを見出す突出した能力により、彼らは少なからず特権を得てきた。

アザキスは、大陸南部の美しい街サーランに建つ、かつては地域のクラフトマンの倉庫として利用されていた巨大な建物に暮らしていた。そして特権により、その建物を自分好みにアレンジする許可を得ることができた。

南側の壁は、宇宙船に使用されているのと同じようなフォースフィールドにし、もはやアザキスの体と一心同体ともいえる自動形状形成肘掛け椅子に体を沈めながら、すばらしい湾の眺めを堪能できるようにした。必要に応じて、この壁は十二のGCS伝送映像を同時に映し出す巨大な三次元システムにもなる。この高度な監視・管理システムのおかげで、これまで何度も重要な情報を事前に収集してかなり先の危機まで整然と解決するのに役立った。何があっても、これを手放すつもりはなかった。

以前倉庫だった邸宅のうちの一画は丸々、何年もかけて様々な宇宙ミッションで収集した土産物のコレクションを所蔵するためのスペースになっている。コレクションの一点一点を見るたびに、それにまつわる思い出がよみがえり、この奇妙なモノの寄せ集めの中に身を置くたびに、自分の運の良さ、特に何度となく危機から救い出してくれた忠実な友に感謝せずにはいられなくなる。

ペトリは、知力にも優れた男でありながら、ただ与えられるだけの技術に頼ることをよしとはしなかった。ほとんどすべての種類の航空機を操縦でき、また、あらゆる武器、局地的・惑星間通信システムに精通していながらも、自分の勘と手作業のスキルを頼りに、直面した問題を解決することを好んだ。これまで幾度も、形さえない金属の塊から素早く移動装置や無敵の防御装置を創り出してきた。まったく非凡としか言いようがない。必要なものはほぼすべて自分で創り出すことができた。この才能の一部は腕の良いクラフトマンである父から受け継いだものであったが、大部分は彼自身の芸術への情熱から来たものだった。実際、少年の頃から、ペトリはクラフトマンが役に立たないものから、有用なものと技術を生み出し、さらには「美」の領域に達するものさえ創り出す技を見るにつけ、畏怖の念を抱いてきた。

けたたましく不快な断続的な音が、アザキスをいきなり現実に引き戻した。自動近接アラートが作動したのだ。

ナーシリーヤ – ホテル

五つ星ホテルでないことは確かだったが、砂漠の中のテントで何週間も過ごした人間にとっては、シャワーでさえ贅沢に思えた。エリサは冷たくすがすがしい水が首や肩をマッサージするのに任せた。彼女の体は冷たさを歓迎し、一連の心地よい震えが背中に走った。

なくなって初めて、それがどれほど大事なものだったか気づくこともある。

シャワーから出る十分以上前、蒸気に曇った鏡をのぞきこもうとしたところ、明らかに傾いているのが分かった。傾きを直そうとしたが、手を放した途端にまた傾いてしまう。しまいには無視することにした。体についたしずくをタオルで拭きとりながら、自分の姿に見とれた。数年前まで、モデルや女優の仕事を頻繁にオファーされていた。銀幕の女神やフットボール選手の妻にだってなれたかもしれない。だが、お金にはそれほど興味がなかった。むしろ、汗を流し、埃にまみれ、古代文字を調べ、忘れ去られた場所を訪れることを好んだ。彼女にとって、冒険とは古代の遺物、何千年も昔の出来事の痕跡を見つけ出すことに関連した、血の出るような努力と感情を意味しており、これに勝るものは何もなかった。

鏡に近づき、目じりにできた忌々しい小皺を見つめた。とっさに化粧品のバッグに手が伸び、アンチエイジング・クリームを取り出した。「一週間もしないうちに、目に見えて皺が減る、ですって」クリームをよく顔に塗り、注意深く鏡の中の顔を眺める。奇跡を起こせるとでもいうの? でも七日後には目に見えて効果が分かると言っていた。

鏡の中の自分、そしてそのような宣伝文句にすんなり騙される他のすべての女性に微笑んだ。

ベッドの上の壁掛け時計は午後七時四十分を指していた。あと二十分で支度するなんて、絶対無理。

急いで体を拭くと、長いブロンドの髪は少し湿ったままにして、暗色の木製のクローゼットの前に立った。この中には、ここまで何とか持ち込むことのできたドレスアップ用の服が数着収まっていた。いつもなら時間をかけてTPOに見合った服を選ぶところだが、今夜は選択肢が限られていた。あまり深く考えずに、丈が短い黒いドレスを選んだ。見た目が良くてセクシーだけれど、下品ではない。魅惑的なネックラインは、彼女の肉感的な体つきをはっきりと強調するだろう。そのドレスを手に取り、エレガントな手つきでベッドに投げかけた。

午後七時五十分をまわった。それが女性の特権とはいえ、時間に遅れるのは嫌だった。

窓の外を見ると、ホテルのドアのすぐそばに暗色に輝くSUVが停まっているのが見えた。おそらく運転手と思われる軍服に身を包んだ若者がボンネットに寄りかかり、待ち時間を利用して静かにタバコを吸っていた。

アイペンシルとマスカラでできる限り目元を強調し、唇に手早くグロスを乗せた。グロスを唇の上で均等に延ばすために空のキスをいくつもしながら、お気に入りのピアスをはめたが、穴のあいている場所を見つけ出すのにいくらか苦労した。

実は夜に出かけるのは、久しぶりだった。仕事が生活のすべてになっていたため、特定の恋人を作ったことさえなかった。関係が続いたとしても、たいてい数か月程度だった。少女時代から生まれつき母性本能が強いことは分かっていたが、ずっと無視してきた。しかし、生物的な成熟期を迎えようとしている今、それを否が応でも意識せずにはいられなくなっていた。もしかしたら、結婚を真剣に考えてみるべき時が来たのかもしれない。

そのような考えを素早く追い払うと、ドレスを身に着け、唯一持ってきていたハイヒールに足を滑り込ませ、鷹揚な動作で首の両側に今ある中で一番上等の香水を吹き付けた。シルクのスカーフに、たっぷり入る黒のバッグ。これで出かける準備ができた。ドアの近くの壁にかかったさびた鏡で身だしなみを再度チェックし、完璧にメイクできていることを確かめた。鏡の前でさっと一回りしてから、彼女は満足げに部屋を出た。

若き運転手は、ホテルから出てきたモデルのようなエリサの姿を見て思わずぽかんと開けた口を閉じると、火を点けたばかりの二本目のたばこを投げ捨てて、急いで車のドアを開けた。

「こんばんは、ハンター博士。参りましょうか」運転手はもごもごと言った。

「今晩は」エリサはこれに応じ、最高の笑顔を見せるよう努めた「ええ。準備はできていてよ」

「お出迎え、ご苦労様」車に乗り込みながら、そう付け加えた。スカートの裾が引き上げられて、この兵士をどぎまぎさせるのに充分なほど脚が露出するのは分かっていた。

称賛はいつだって歓迎だ。

宇宙船シーオス – 近接アラート

オーコム・システムがアザキスの目の前で急速に何かの像を映しはじめた。長距離レンズが捉えた、解像度が低いためまだ輪郭がぼんやりとした奇妙なものの姿が見えはじめた。それは間違いなく動いており、シーオスに向かって来ていた。近接アラート・システムは、いずれも進路を変更しない場合、シーオスとその未知の物体が衝突する確率を96%以上と見積もっていた。

アザキスは急いで一番手近にある移動モジュールに飛び乗った。自動制御システムに短く「ブリッジ」と吠えるように告げる。

五秒後、シューという音と共に巨大な集中スクリーンが据えられたコントロール室のドアが開いた。スクリーンには、シーオスへの衝突コースをまっしぐらに進む物体の姿がおぼろげに映し出されていた。

ほとんど同時に、ペトリが息を切らせて別のドアから入ってきた。

「いったい全体、何が起こってるんだ? この辺りで隕石に遭遇するなんて、あり得ない」ペトリは叫ぶと、巨大なスクリーンに見入った。

「隕石じゃない」

「隕石じゃなかったら、いったい何なんだ?」そう問い詰めるように言うペトリは、明らかに焦っていた。

「今すぐ進路を変更しないと、ブリッジの上で自分たちの体がバラバラになるのを見ることになるぞ」

ペトリはまごまごしながらナビゲーション・コントロールをいじり、軌道をこれまでのものより少しずらして設定し直した。

「90秒後に衝突」近接アラート・システムの温かな女性の声が無感情に告げた。「物体からの距離、276,000キロメートル。接近中」

「ペトリ、何とかしろ! はやく!」アザキスが叫んだ。

「その『何とか』を今やってるところだろ。しかし、あちらのブツがあまりに速く動いているんでね」

スクリーン上で物体の右側に表示されている衝突の確率が徐々に下がっていく。90%,、86%、82%。

「もうだめだ」アザキスがうめいた。

「友よ、俺の船を粉々にできるような『謎の物体』はまだ発明されちゃいないさ」ペトリは自信たっぷりに言って、茶目っ気のある笑みを浮かべた。

二人がバランスを崩すくらいの勢いの素早い操縦桿さばきで、ペトリは二基のボウセン・エンジンの極を反転させた。シーオスがしばらくの間ぶるぶると振動した。高性能人工重力システムがこの方向転換に対応して即座に補正を行い、乗組員が前面の壁に叩きつけられるのを防いだ。

「いいぞ」アザキスはそう言うと、ペトリの肩をパチッと叩いた「しかし、この回転をどうやって止めるつもりだ?」周りの物はすでに浮き上がって、コントロール室を回り始めている。

「ちょっと待てよ」ペトリはまだボタンを押し、制御装置をいじっている。

「あと必要なのは……」玉の汗がゆっくりと額から滴り落ちた。

「これを開いて……」コントロール室内のすべての物がコントロールを失って飛び回っていた。アザキスとペトリの体も床から離れはじめた。人工重力システムも、大きな遠心力をこれ以上補正できなくなっていた。二人の体が軽くなっていく。

「……それ、テールゲート三!」ついにペトリが叫び、それと同時にコントロール室内のすべてのものが床に落ちた。アザキスの第三肋骨と第四肋骨に重たいゴミ箱が当たったが、鈍いうめき声を呑んだ。コンソールの上で宙を舞っていたペトリが落ち、不自然なばからしい姿勢で着地した。

衝突の確率は18%まで下がり、今なお急速に下がり続けていた。

「大丈夫か?」アザキスは右脇の痛みをこらえながら、喘ぎ声を出した。

「ああ、大丈夫。俺は大丈夫だ」まっすぐに立とうとしながらペトリは応えた。

その直後にアザキスは他の乗組員に連絡し、何ら損傷はなく、怪我人もいない旨の報告を直ちに受けた。

先ほどの操縦で、シーオスはわずかにコースを外れ、ゲートを開けたことによって圧力の低下が生じたが、自動システムがすぐにバランスをとった。

6%、4%、2%。

「物体までの距離、60,000キロメートル」近接アラート・システムが続けた。

二人は息を呑み、距離が50,000キロメートルまで縮まるのを待った。そこからは短距離センサーが作動するはずだった。果てしない時間が流れているように感じられた。

「物体までの距離、50,000キロ。短距離センサー作動」

目の前のぼんやりとした像が急にくっきりとした輪郭を見せた。スクリーンに映し出された物体はくっきりと、細かな部分まではっきり見えた。二人は顔を見合わせた。目が見開かれ、互いの顔に答えを探った。

「信じられん!」と同時に叫んだ。

ナーシリーヤ – マスグーフ・レストラン

ハドソン大佐はそわそわしながらレストランのメイン・ダイニング・エリアの前を行ったり来たりしていた。文字どおり一分ごとに常に左手首にはめている軍用腕時計をチェックした。眠る時でさえ、この腕時計を外すことはなかった。初めてデートをするティーンエイジャーのように気持ちが高ぶっていた。

時間をやり過ごすために、レモン・スライスを添えたマティーニ・オン・ザ・ロックを注文していた。口髭をたくわえたバーテンダーが、なおざりに脚の長いグラスを拭きながら、濃い眉毛の覆いかぶさった目で大佐の様子をうかがっていた。

イスラム圏の国ではアルコールを飲むのは許されていなかったが、例外もある。この小さなレストランは、エリサとハドソン大佐のために貸し切られていた。

ハンター博士との通信が終わってすぐに、大佐はこのレストランのオーナーに連絡し、レストランの名前にもなっている名物料理のマスグーフを所望した。メインの材料であるチョウザメの入手が困難であることから、大佐はこのレストランがその料理を用意できるか予め確認しておきたかった。調理に少なくとも2時間はかかるため、完璧を期してじっくりと焼くよう指示した。

迷彩服の制服ではこの晩にはそぐわないため、黒いヴァレンティノのスーツをワードローブから久々に引っ張り出し、シルクのグレーと白の連隊旗縞のネクタイをあわせた。黒い靴は、軍人とイタリア人だけが知っているやり方で磨かれていた。軍用腕時計も明らかにこの場にそぐわないものだったが、この時計なしにはいられなかった。

「今、そちらに向かっているそうです」胸ポケットに納めていた携帯電話に似たレシーバーから、雑音交じりの声が聞こえてきた。レシーバーのスイッチを切り、窓の外を見やった。

大きな暗い色の車が、風にさらされて道路の上を無造作に舞っているしわくちゃの袋を避けながら走ってきた。車は素早いハンドルさばきでレストランの入口からすぐの所に停められた。運転手は車が巻き上げた埃が地面に落ち着くのを待ってから、注意深く降りた。右耳に隠すように装着したヘッドセットから「オール・クリア」と聞こえてきた。運転手は注意深く目を配り、二人がディナーをとる間にセキュリティを担当する兵士たちが各自、事前に打ち合わせたとおりの配置についていることをよく確認した。

この場所は安全だった。

運転手が車の後部座席のドアを開け、エリサが降りるのを手助けするため、そっと右手を差し出した。

エリサは運転手に礼を言うと、エレガントに降り立った。澄んだ夜の空気を肺に満しながら顔を上げ、一瞬間をおいて満天の星が広がる、砂漠だけが見せてくれる荘厳な空を見つめた。

大佐は少しの間、外に出てエリサをエスコートするべきか、レストランの中で彼女が来るのを待つべきか、決めかねていた。結局は座っていることにした。そうすれば緊張していることを悟られずに済むかもしれない。無関心を装ってバーまで歩き、高い椅子に腰かけて左ひじを暗色の木製のカウンターについて、レモンの種がゆっくりと底に落ちていくのを見ながら、グラスに残っていた最後の一滴を飲み干した。

キイと小さな音をたててドアが開き、兵装の運転手が辺りを見回してすべて問題がないことを確認した。大佐が小さくうなずくと、運転手が大きくさっと手を差し出すしぐさでエリサを中に招き入れた。

「こんばんは。ハンター博士」大佐はそう言うと、椅子から降りて最高の笑顔を見せた。「ここまでのドライブは快適だったかね?」

「こんばんは。大佐」エリサはこれに応じて、同じく目が眩むほどの笑顔で言った「とてもすばらしかったですわ。ありがとうございます。運転手の方も、とても親切で」

「行ってよろしい」大佐は運転手に上司の口調で告げた。若き運転手は軍隊式の敬礼をして踵を返し、夜の闇の中に消えていった。

「博士、食前酒はいかがかね?」大佐はそう尋ねると、手招きで口髭をたくわえたバーテンダーを呼びつけた。

「同じものをいただきますわ」エリサは大佐が手に持ったままのマティーニのグラスを指さしながら、物怖じしない態度で言った。そしてこう付け加えた「どうぞエリサとお呼びください。そう呼んでいただいたほうがいいわ」

「いいだろう。私のこともジャックと呼んでくれ。『大佐』は部下が私を呼ぶ時の敬称だからね」

「出だしは上々だ」大佐は思った。

バーテンダーが手際よく二杯目のマティーニをグラスに注ぎ、エリサに差し出した。エリサは自分のグラスを手に取り、大佐のグラスにカチンと当てた。

「乾杯」生き生きとした口調で言い、一口すすった。

「エリサ、今宵はまた一段と美しい」大佐はエリサに向けた視線を素早く上下に動かした。

「大佐もなかなか素敵ですわ。制服姿も魅力的なものですけれど、私はこのほうが好きです」エリサは小悪魔的な笑みを浮かべて首を横に傾けた。

大佐はいくらかどぎまぎし、グラスの中身に視線を落とした。しばらくグラスを眺めてから、中身を一口に飲み干す。

「テーブルへ参りましょう」

「ええ。そうしましょう。お腹が空いてしまって」エリサが元気よく言った。

「この店の名物料理を注文しておいた。お気に召すといいが」

「まさか、マスグーフを作ってくれと頼んだわけではないでしょうね?」エリサは美しい緑の瞳をこれ以上ないというほど大きく見開いて、あきれたように言った「この時期にチョウザメを入手するなんて、ほとんど不可能ですわ」

「あなたのようなゲストのためだけ、特別に」大佐はこのメニューの選択が最適だったことを確認し、満足げに言った。右手を礼儀良く差し出し、エリサに後からついてくるよう促した。エリサはいたずらっぽい笑みを浮かべたまま、大佐のリードに従ってテーブルに向った。

レストラン内はこの地方ならではの典型的な様式で魅力的に装飾されていた。照明は温色で控えめに、天井から釣り下がった巨大なカーテンはほぼ壁まで覆っていた。エスリミ・トランジャー(アラベスクと動物をモチーフにした円形模様)のデザインの大きな絨毯が床のほぼ全体を覆い、部屋の隅には小さな絨毯がそれを縁取るように配置されていた。もちろん、伝統に従えば、食事は床の上の柔らかく快適なクッションに腰を下ろしてとるべきところだったが、大佐は典型的な西洋人として、「普通」のテーブルでの食事を希望した。テーブルクロスも、細心の注意を払って、レストランの他の内装と完璧にマッチする色合いのものが選ばれていた。BGMとして、マクサム9 のリズムとウード10 のメロディに乗ったダルブカ11 の演奏が穏やかに部屋を満たしていた。

完璧な夜だ

背の高い痩せたウエイターが二人に近づき、お辞儀を一つすると、席に着くよう促した。大佐はエリサを先に座らせ、自分の椅子の位置を調整して、ネクタイが皿にかからないよう気をつけながら、エリサの真向かいに座った。

「本当に素敵なレストランですね」エリサは辺りを見回しながら言った。

「そう言っていただけると、うれしい。白状すると、お気に召さないのではないかと心配していたのでね。しかし、あなたがこの地域の文化に強い関心を持っていることを思い出して。ここが最善の選択だと考えたんだ」

「ご推測のとおりですわ!」エリサは再び魅惑的な笑顔を見せた。

ウエイターがシャンペンのボトルを開け、二人のゴブレットに中身を注いでいる間に、もう一人のウエイターがトレイを持ってやってきた「モスト・オ・バデミュン12 はいかがでしょう」

二人は喜びに顔を見合わせた。おのおのグラスを手に取ると、もう一度乾杯をした。

レストランから百メートルほど離れた車の中で、二人の見慣れない人物が高性能監視システムをいじくっていた。

「大佐がどれほどあの女にちやほやしているか見たか?」運転席の太ったほうの男がにやにやしながら言った。シャツの腹やズボンに屑を散らしながら、大きなサンドイッチを頬張っている。

「博士のイヤリングに発信機を仕掛けるっていうのは、傑作なアイデアだったな」大きな黒いギョロ目をした痩せたほうの男が、大きな茶色がかった紙コップからコーヒーをすすりながら言った「あいつらの話が筒抜けだ」

「ヘマするなよ。全部録音するんだ」太ったほうの男がしかりつけるように言った「さもないと、朝ごはんにそのイヤリングを食べさせることになるからな」

「心配ご無用。この手の装置には慣れているんだ。ささやきひとつ漏らさないさ」

「博士が何を見つけたか、正確に知る必要がある。ボスはこの調査を秘密裏に探るために大金を注ぎ込んでいるんだからな」太ったほうの男が付け加えた。

「大佐が敷いた厳戒なセキュリティ体制では、確かにそれを探るのは容易じゃない」痩せたほうの男が夢見るように空を見上げて言った「その金のほんの一部でも、今俺にまわしてくれれば、キューバのヤシの木の下で羽を伸ばせるんだがな。そうすれば、唯一気にすることといえば、マルガリータとピニャ・コラーダのどちらを注文するかってことくらいだ」

「それから、ビキニの女の子を何人かはべらせて、サンオイルを塗らせるのもいいな」太ったほうの男が言い、大きな笑い声をあげると、腹の上に乗ったサンドイッチの屑が躍った。

「この食前酒、おいしいわ」パネル上の小さなスピーカー越しに、博士の声がかすかにぶれて聞こえてきた。「白状しなければいけませんね。堅苦しい軍服の下に、このような洗練した男性が隠れているとは、想像だにしていませんでした」

「それは光栄だ、エリサ。私も、学術的に有能でありながら美しいあなたのような女性に、これほどまでに親しく愛嬌よく接していただけるとは思っていなかったよ」大佐が言った。この声もかすかにぶれていたおり、さっきよりも小さかった。

「いちゃつきやがって。しまいには二人で仲良くベッドインだな」太ったほうの男が言った。

「そうかな。我らが博士はかなり頭がいい女だぞ。ディナーとこんなお粗末なお世辞くらいで、やすやすと大佐の腕に飛び込むはずがない」

「今夜ベッドに十ドル賭けてもいいぞ」太ったほうの男が相棒に右手を差し出して言った。

「いいぞ。乗った」痩せたほうの男は差し出された大きな手を握った。

宇宙船シーオス – 謎の物体

二人の宇宙旅行者の前に映し出されたその物体は、いかに創造力豊かな自然をもってしても、創り出せるとはとうてい思えないような代物だった。三枚の長い金属の花びら、茎はなし、緩やかに先細りになっためしべが見える。めしべの軸は六角柱になっており、その付け根はめしべの先よりもわずかに太く、めしべの構造全体を支えていた。長方形の花びらの幅、めしべの軸の六角柱の径のちょうど三等分で、めしべの付け根より少なくとも四倍は長かった。

「古い風車みたいだな。何世紀も前に東部の草原地帯で使われていたやつだ」大きなスクリーンに映し出された物体に見入ったまま、ペトリが言った。

アザキスは背筋に震えを感じた。出発前に、長老達が調査するように指示した、ある物の古いプロトタイプを思い出していた。

「宇宙探査機だろう」とアザキスは結論づけ、ノーコムからそれに関する情報をできるだけ多く急いでかき集めながら、付け加えた「古いGCSアーカイブでよく似た設計のものを数点見たことがある」

「宇宙探査機? いつ打ち上げたんだ?」驚きの表情でアザキスを振り返りながら、ペトリが尋ねた。

「我々が打ち上げたものではない」

「我々のものじゃないって? どういう意味だ?」

「惑星ニビルの住人がつくったものでも、打ち上げたものでもないということだ」

ペトリの表情は次第に呆然としたものとなっていた「どういうことだ? まさか、異星人のものだとでも言いたいのか?」

「俺に分かっていることは、このようなものはニビルではこれまでにつくられたことがないということだ。GCSアーカイブをチェックしたが、該当するものは見当たらなかった。計画だけされて実現しなかったプロジェクトも含めて」

「ありえん!」ペトリは叫んだ「お前のノーコムの同期がずれているんじゃないか。もう一回確認してみろよ」

「すまん、ペトリ。同期はすでに二回確認したが、この物体が我々のものでないことは確かだ」

短距離観察システムが細かい部分まで綿密に再現した物体の3D画像を生成した。コントロール室の中央の床から50cm上の位置に、ホログラムが浮かんだ。

ペトリは右手の動きでゆっくりと画像を回転させながら、細部までよく観察した。

「低密度の合金でできているようだな」つい先ほどのあっけにとられていた時のものとは違う、より技術者らしい確信のある口調で言った「エンジンの動力はこの三枚の花びらのように見えるものから得ているんだろう。ある種の光に反応する素材で覆われているようだ」。ペトリはようやくシステムを操作し始め、さらに続けた「このめしべの部分は、無線アンテナの一種、そして六角柱は間違いなくこの物体の『頭脳』だな」

ペトリはホログラムを回転させる速度を徐々に上げ、あらゆる方向に回転させた。突然手を止め、声をあげた「これを見ろ。どう思う?」細かい部分に目を止めてそこをズームしながら、アザキスに尋ねる。

アザキスは画像にできるだけ近づいた「記号のようだな」

「二つの記号だ」ペトリがそこまで言い、訂正した「いや、正確には、図形が一つと、間隔を詰めて描かれた記号四つだ」

アザキスはまだ熱心にノーコムを検索し、GCSから何らかの情報を見つけ出そうとしていたが、目の前にある物体に一致するものは一つとしてなかった。

図形は十五本の水平な赤と白のストライプで構成された長方形だった。その左上端には、さらに五十の星が描かれた青い長方形があった。その右側には、次の四つの記号が描かれていた。

JUNO

「何らかの文書のようだな」アザキスは推測した「たぶん、この探査機の製作者の名を意味する記号だろう」

ペトリはそれに異を唱えた「それか、この探査機の名前かもしれんぞ。この探査機は「JUNO」と呼ばれているんじゃないかな。そして、長方形の記号は、製作者のシンボル」

「これが何であろうと、いずれにせよ、我々のつくったものではない」アザキスが断言した。「内部に生命体がいると思うか?」

「そうは思わない。少なくとも、俺たちの知っているようなものはいないだろう。いるとしたら、後部のカプセルの中だろうが、生き物を収納できる大きさじゃない」

そう言いながら、ペトリは探査機のスキャンを始め、内部に生命体のいるような気配があるかどうかを探った。間もなくスクリーンに一連の記号が映し出され、アザキスのためにそれをすばやく解読しようと試みた。

「センサーは生命体を検知していない。武器でもないようだ。初期分析によると、太陽系の半ばまでを探索する偵察機だろう。そこに何があるかを探るための」

「そうかもしれんな」アザキスは同意した「しかし、問題は、誰がこれを送り込んできたかということだ」

「そうだな。謎の異星人の可能性を排除するとしたら、こんなものがつくれる奴らといったら、お前の地球人の友しかいないだろうな」ペトリが言った。

「だが、そうは言っても、前回俺たちが地球を後にしてきた時は、地球人はまだ馬に乗って移動してたんだぞ。この短期間で、どうやってこのレベルにまで発展できるんだ? 宇宙空間を漂う探査機を送り込むのは、たやすいことじゃない」

「短期間だと?」ペトリはアザキスの目を真正面から見すえて言った「忘れるなよ。地球人にとっては、あれからほぼ3,600年の時間が経っているんだ。地球人の平均寿命がせいぜい五十~六十年程度ということを考えれば、少なくとも六十世代分の時間だ。俺たちが想像する以上に知性を発達させているかもしれない」

「だから、長老達もこのミッションについて心配していたのかもしれないな」ペトリの推論を肯定する形で、アザキスは付け加えた。「長老達はこれを予見していた。または、少なくともその可能性を検討していたということだ」

「それならそうと、一言いっておいてくれればいいものを。これを見た時、あやうく心臓発作を起こすところだった」

「単なる推測だろ」アザキスはそう言うと、親指と人差し指で顎をこすった「しかし、そういうことなら、合点がいく。長老達に連絡を取ってみよう。もっと情報を引き出すんだ。もし持っていればの話だがな。その間、お前はこの物体についてさらに探っておいてくれ。現在の針路、速度、質量などを分析して、目的地、出発日時、記録しているデータを予測するんだ。この先何が待ち受けているかをできるだけ知っておきたい」

「オーケイ、ザック」空中を漂う色とりどりの数え切れないほどの数のホログラムに囲まれながら、ペトリは了解した。

「それから、お前がアンテナだと言った部分の分析を忘れるなよ。本当にお前の言ったとおりの物なら、送受信もできるはずだ。この探査機を送り込んだ連中に、すでに俺たちの訪問について報告が行っているという状況は、どうもよろしくないからな」

アザキスはそう言いながら、この宇宙船の船内で唯一、長距離通信機の設置されているハーコムのキャビンに向かった。ハーコムのキャビンは船内移動モジュールのゲート十八と十九の間にあった。小さなシューという音をたててドアが開き、アザキスはその狭いキャビンの中に身を滑らせた。

一体、なんだってこんなに小さく造るんだ……そう思いながら、同じく小さい座席に腰を据えると、座席が自動的に低くなった。ここはそう頻繁に使ってくれるな、ということなのかもしんな……。

背後でドアが閉まり、アザキスは目の前のコンソールに向かって一連のコマンドを打ち込んだ。突然、先ほどのコントロール室で見たものと同じようなホログラムで、アザキスの上司である長老のうつろな、皺だらけの顔が浮かび上がってきた。

「アザキス」長老は微笑みながら、ゆっくりと骨ばった手を上げてアザキスの存在を認めた「この憐れな年寄りに、何の火急の用がある?」

この長老の年齢は、まったく見当さえつかなかった。長老達についてそのような個人的な情報を入手することは許されていなかった。太陽周辺の数多くの進化を目にしてきたことは確かだった。それでも尚、長老の目はこれまで以上に精力的に左右にせわしなく動いていた。

「驚くべきものに遭遇しました。少なくとも、我々にとって、という意味ですが」アザキスは前置きなしに言い、長老の目を正面から見すえようとした。「未確認物体と、もう少しのところで衝突するところでした」そう続けて、長老の表情をうかがった。

「物体? 詳しく聞かせてくれ、せがれよ」

「ペトリがまだ分析中ですが、探査機の一種と思われます。ニビルでつくられたものでないことは確かです」。長老の目が見開かれた。驚いているようだ。

「外殻に見たこともない記号が、我々にとって未知の言語で刻み込まれています。すべてのデータをそちらに送ります」

一瞬、長老は放心したように見えた。オーコムを使って受信した情報を分析したのだ。

やや長い間があってから、長老の目が再びアザキスに向けられ、無感情にさえ思えるような口調で答えが返ってきた「長老評議会を招集しよう。すべての情報が、お前の初期推論が正しいことを示している。もしそのとおりだとしたら、直ちに計画を変更しなくてはなるまい」

「ご指示をお待ちしています」アザキスはそう言って、通信を終えた。

ナーシリーヤ – ディナーの席

大佐とエリサは三杯目のシャンパンをすでに飲み干しており、二人の間の空気は明らかにくだけたものになっていた。

「ジャック、このマスグーフはまさに神への捧げ物といったところね。とても食べきれそうにないわ。大きすぎて」

「ああ、本当にすばらしい。シェフに挨拶をしておくべきだな」

「このシェフと結婚しようかしら。料理を作ってもらえるわね」エリサが少し大げさに笑いながら言った。アルコールが利きはじめたようだ。

「いいや。順番待ちをしてもらわなくては。私が先だ」大佐はこのジョークを敢えて口にしながら、このような言い方が不適切でないことを願った。エリサはそしらぬふりをして、チョウザメを食べ続けた。

「本当に独身?」

「ああ。時間がなくてね」

「よく聞く言い訳だわ」エリサがいたずらっぽい表情で言った。

「実は一度、結婚の一歩手前までいったことがあった。しかし、軍隊での生活は結婚生活にはそぐわないものでね。ところで君は?」まだ心に痛みを残している話題を逸らして、付け加えた「君は結婚は?」

「ご冗談を。モグラのように地価を掘り進んで何千年も前の墓場を掘り返すのを楽しみに世界中を飛び回っている女を、わざわざ選ぶ人なんていないわ」

「なるほどな。君は家庭に収まる器じゃない」大佐は苦笑し、グラスを掲げて感傷的に言った「我々に」

その哀愁の瞬間にちょうど割り込むように、ウエイターが焼きたてのサモーン13 を数個、追加でテーブルに運んできた。

この割り込みに感謝しながら、ジャックは急に心によぎった一連の思い出を振り払おうとした。もう過ぎたことだ。今は、美しい女性とテーブルを共にしており、彼女に集中しなくてはならない。そしてそれはたやすいことだった。

二人を取り巻く穏やかなBGMはまさにその場にぴったりだった。テーブル中央に置かれた三本のキャンドルの光の中で、エリサはすばらしく美しく見えた。髪には金色と銅色のハイライトがかかり、すべすべとした肌はブロンズ色に日焼けし、鋭敏な瞳は深い緑をたたえていた。柔らかい唇で、指でつまんだチョウザメの身を骨から引きはがそうとしている。とてもセクシーだ。

エリサが大佐が隙を見せた瞬間を見逃すはずはなかった。骨を自分の皿の縁に置くと、明らかに無頓着に指に付いた汁を吸い取った。頭を低くして、大佐をじっと見つめた。大佐はといえば、心臓が胸から飛び出して皿に乗ってしまうのではと思うほどだった。

この場の主導権をもはや自分が握っていないことを自覚し、大佐は自制心を保とうとした。恋わずらいをしている男子学生のように振る舞うには年を取りすぎていたが、エリサにはなんともいえない抗しがたい魅力があった。

深く息を吸い、大佐は両手で顔をぬぐうと、やっとの思いでこう言った「二人でこの最後の一切れを食べきれるだろうか?」

エリサは微笑むと、チョウザメの最後の一切れをそっと手に取り、座ったまま前に身を乗り出して、大佐の口までそれを運んだ。この姿勢で、ドレスのネックラインがわずかに下がり、彼女の豊かな胸元が露わになった。大佐は明らかにどぎまぎした様子で、一口だけかじり取った。しかし、エリサの指が自分の唇に触れるのを避けることはできなかった。興奮が高まるのを感じた。エリサは猫が鼠を弄ぶように大佐を弄んでいた。大佐はそれから逃れることができずにいた。

そして、無邪気な少女の雰囲気で椅子に深く座り直すと、エリサは何事もなかったかのように、背の高い痩せたウエイターに合図をした。ウエイターはすぐにテーブルまで来た。

「そろそろおいしいカルダモンティーの時間よ。いかが? ジャック?」

大佐は今しがた起こったことから身を持ちなおそうとしながら「あ、ああ、いいだろう……」というような趣旨のことを何とかもごもとと言った。ジャケットを直し、よりくだけた口調になるよう努めながら「消化にはいいだろう」と付け加えた。

間抜けなことを言ったという自覚はあったが、この状況で他の言葉が思い浮かばなかった。

「すべてがとても心地良いわ。すてきな晩ね。でも、今晩なぜここで会うことになったか、忘れないようにしましょう。お見せしたいものがあるの。憶えていらっしゃる?」

この瞬間、大佐は仕事のことだけを考えた。いかにも。彼女は正しい。ばかげた恋愛ごっこなどより、ずっと重大なことがあるのだ。彼にとって、実はその恋愛ごっこもそうばかげたこととは思えなくなっていたが。

「もちろんだとも。何を発見したのか、ぜひ聞かせてくれたまえ」大佐は威厳あるトーンを再び取り戻そうと努めながら言った。

この時点で、会話のすべてに聞き耳を立てていたレストラン近くに停められた車の中の太ったほうの男が叫んだ「なんてアマだ! 女は皆同じだ。月にでも上ったような気持ちにさせておいてから、何事もなかったかのように地面に叩き落とす」

「どうやらお前の十ドルはじきに俺の財布行きのようだな」痩せたほうの男が言い、腹の底から笑い転げた。

「実を言うと、誰が博士と寝ようと、俺にとってはどうでもいいのさ。忘れるなよ、俺たちがここにこうしているのは、ひとえにあの女が何を知っているのか探るためだ」腰が痛みはじめたため、座席のもっと座り心地の良い位置を探りながら痩せたほうの男が言い、そして付け加えた「あのいまいましいレストランの中にカメラを仕掛ける方法を見つけておくべきだったな」

「そうだな。テーブルの下にでも。教授の太ももがじっくり拝めるようにな」

「あほ。どこのどあほうがお前なんかをこのミッションに選んだんだ?」

「ボスだよ。あのお方を侮辱しないよう、警告しておくぞ。盗聴器についてはお詳しいんだ。この車にだって、盗聴器を仕掛けているかもしれない」

太ったほうの男がたじろいだ。一瞬、心臓が止まったかと思った。彼は出世を狙っており、直属の上司を侮辱することは、明らかに昇進を妨げることにつながる。

「ばかを言うのはやめろ」真面目なプロらしい口調になるよう努めながら言った「さっさと仕事を済ませて、具体的な成果を挙げて基地に戻ろうぜ」。そう言いながら、蒸気でわずかに曇った車のフロンガラス越しに、ぼやけた夜空の闇の中の一点を見つめた。

エリサはバッグから愛用のコンピュータを取り出し、テーブルの上に置いて写真をスクロールしはじめた。大佐は好奇心を掻き立てられ、画面上に表示されているものをよく見ようとしたが、角度が悪いため、うまくいかなかった。エリサは探していたものを見つけると、席を立って大佐の隣に座った。

「さあ、どうぞ楽にして。長い話になるから。できるだけ手短に話すようにはするけれど」

コンピュータの画面を下にすばやくスクロールし、奇妙な絵と楔形文字の刻まれた銘板の写真のところで手を止めた。

「これはエルサレムの王、ボードゥアン二世の墓で見つかった銘板のうちの一つよ。1119年にマクペラの洞穴、別名『長老の丘』を最初に開いた人物とされている。その洞穴は、アブラハムと息子のイサクとヤコブが埋葬された場所といわれている。この地下の墓は、西岸地区のヘブロンにある、現在はモスク、またの名をアブラハムの神殿と呼ばれているところの下で見つかった」エリサはここでモスクの写真を大佐に見せた。

「これらの墓の中には、他の物と一緒に、アブラハム王の所持品と思われる銘板一式も埋葬されていたの。銘板は、王の人生における最も重大な出来事が綴られた、王自身がつけていた一種の日記だとも信じられている」

「王の旅行日誌だ」この一言が良い印象を与えることを願って、大佐が言った。

「ある意味では、正しいわね。この時代の人物としては、彼は多くのことを旅行中に書き留めていた」

エリサはスクロールして別の写真を表示させ、説明を続けた「この時代を得意とする言語と象形文字の著名な専門家たちが、この銘板に記録されていることを解読しようと試みた。いくつかの点では、意見は明らかに分かれたけれど、この点では皆の意見が一致したの」。そこで、写真のある部分を拡大表示した「これは『器』または『神々のアンフォラ』と解釈できるということと、その後に、これも非常にはっきりと読み取れる『埋葬』、『秘密』、『保護』という言葉が続いているということ」

大佐は少し混乱してきたが、エリサには完全に理解していると思わせるよう、うなずいた。エリサは一瞬大佐を見てから、続けた。画面を調整して画像ができるだけ鮮明に見えるようにする「一方、この記号は、一部の専門家に言わせれば、墓と、神の墓を意味している。この部分は神からの警告、または神の周りに集まる人々に対する威嚇ともとれる」

大佐は、アルコールと、エリサから匂いたつ香水にやられて、また、エリサの視線に魅了されて、彼女の言っていることを理解できなくなっていた。それにもかかわらず、「何も問題がない(オール・クリア)」かのように、うなずきを続けた。

「端的に言うと」エリサは大佐が混乱しているのに気づいた「専門家はこの銘板の内容はアブラハム王の時代に起こったことの記述で、銘板はその時代に神とされていた者、または広義な意味での神の墓の近くに隠された、または埋められたと解釈したの。とても貴重な物よ、少なくとも、この時代の人々にとっては」

「いくらか理論が飛躍しているようだが」この件について何か意見を言っておこうと、大佐が口を開いた「貴重なものが神の墓の近くに埋められたとは言っても、GPS座標で示されたわけでもない。何とでも、場所もどことでもとれる」

「そのとおり。でも刻まれている記号や文字はすべて、特に年代のかなり古いものは、解釈と文脈付けのために調査する必要があるわ。そのために専門家が現地にいるのだから。私もその一人ですけれどね」エリサはそう言いながら、パパラッチのカメラの前に立つモデルのようにポーズをとった。

「オーケイ、分かったとも。君がどれほど優秀かは分かっている。しかし当面のところ、神ならぬ身としてはっきりと説明してもらおう」

「基本的に」エリサは一息ついてから続けた「史実、伝説、噂も含めあらゆる種類の歴史的発見を分析、比較した結果、世界最高の頭脳の持ち主の間で一致した意見は、その埋蔵物に真理が隠されているということなの。これを根拠として、その謎の埋蔵物を探し出すために、世界中から考古学者が集まってきている」

「しかし、それとELSADに何の関係がある?」大佐の脳の働きがようやく正常に戻りはじめた。「この調査の目的は、宇宙からの想像上の遺物を回収することだと聞いているが」

「まさしく、その遺物こそがこの埋蔵物かもしれない。現在では、地球上を旅してまわっていた古代の『神々』は、太陽系外の惑星から来た人類に似た生命体だったと広く信じられているの。技術的に、特に医学と科学の分野で当時の人類よりはるかに優れていたため、奇跡を起こす神と誤解されたとしても不思議はない」

「なるほどな。アマゾンのど真ん中で暮らす原住民の前にアパッチ攻撃ヘリで現れて、ミサイルを発射すれば、私だって怒れる神と間違われるだろうな」

「まさに当時の人々にとっては、同じような効果があったのよ。ホモ・エレクトスに知性の種を植え付けたのも、その異星人だったと信じている人もいる。そのおかげで、ホモ・エレクトスはたった数万年の間で、現生人類、ホモ・サピエンス・サピエンスにまで進化することができたと」

エリサは大佐を注意深く見た。驚きの表情を見せているのを確認してから、とどめの一発をお見舞いすることにした。「実を言うと、この発掘調査の責任者として、あなたにこのことをお話しておく必要があると思ったの」

「同感だ」大佐は衝動的に口走った「明らかに、当局の人間は『言葉数は少なく』という方針に従っているようだが」先ほどの感傷的な感情が怒りに取って代わろうとしていた。

エリサはこれを感じ取り、コンピュータをテーブルの上に置いて、大佐に顔を近づけた。大佐はエリサがキスを迫っているのではないかと、一瞬息を呑んだ。「まあ、幸いにも……」彼女は言った。

エリサは自分の椅子の位置をすばやく元に戻すと、もう一枚写真を見せた「この悪名高い『神の墓』、全能の神の墓を、皆がエジプトじゅうのピラミッドをひっかきまわして血眼で探している間、私はこの銘板に刻まれている内容について、別の解釈をしたの。こちらのほうが正しいはずよ。これを見て」エリサは満足げに、彼女自身の解釈に従って楔形文字を解読した画像を大佐に見せた。

レストランでのエリサと大佐の会話に聞き耳を立てていた二人の男は、今、エリサが大佐に見せている写真を見る為なら、どんなことでもしただろう。

「くそっ!」太ったほうの男が言った「なんとしても、あのパソコンを手に入れなくては」

「奴らのうちのどちらかが、声に出して読むのを祈ろう」痩せたほうの男が言った。

「このロマンチックなディナーも、じきにお開きになってほしいものだな。暗がりの中に座っているのは、もううんざりだ。何より、猛烈に腹が減ってきた」

「腹が減っただと? どういうことだ? 今、俺の分のサンドイッチまで平らげたばかりだろうが」

「まだ残してあるんだ。あと一切れ。今片づけちまうがな」太ったほうの男は体を慎重にねじると、後部座席の袋からサンドイッチを取り出した。しかし、体をひねった拍子に、膝が録音装置の電源スイッチに当たった。録音装置はかすかにピーという音をたて、電源が切れた。

「このドジの大バカが! そんなに俺に構ってほしいってか?」痩せたほうの男が急いで録音装置の電源を入れ直した「装置を再起動しなくちゃならん。少なくとも一分はかかるぞ。その間に奴らが重要なことを言わないのを祈るんだな。そうでなかったら、お前のそのどでかいケツをペルシャ湾につき落とすぞ!」

「すまん」太ったほうの男がしょげた様子で言った。「そろそろダイエットでもはじめたらどうだ」

「神は寺院の南に貴重な品を入れた器を埋め、人々に、自分が戻るまでそれに近づかないようにと言いつけた。その言いつけを破れば、万国に災いが及ぶであろう。その場所を守るため、四人の光り輝く番人が置かれた」

「これが私の解釈」エリサが得意げに言った「私が思うに、正しくは『墓』ではなく『寺院』で、私が調査を進めているウルのジッグラトは、紛れもなく、神のために建立された寺院よ。このエリアには確かに多くのジッグラト(日干し煉瓦を積み上げて建てた巨大な聖塔)があるけれど、おそらく、ウルのジッグラトほど、この銘板に文字を刻んだ本人、アブラハム王の家から近いものはないわ」

「非常に興味深い」大佐は楔形文字をしげしげと眺めた。「アブラハムの家として皆に知られている場所は、この寺院からほんの数百メートルの位置にある」

エリサは続けた「それに、本当に異星人のものだとすると、この「器」が軍隊にとってどれほど興味深いものか、想像に難くないわね。おそらく単なる「貴重な品」よりは魅力的でしょう」

大佐は少しの間考え込んでから言った「それこそまさに、ELSADがこの調査に関与している理由だ。埋められた器は、単なる陶製の器以上のものかもしれないということだな」

「よくできました。さて、ここからが核心よ」エリサは芝居がかった声を上げた「レディース・アンド・ジェントルマン、今から、今朝私が発見したものをお目にかけましょう」

エリサが画面に触れると、新たな画像がパソコンに映し出された「銘板にあるのと同じ記号だ!」大佐が言った。

「そのとおり。でも、今日撮ったのはこの写真だけじゃないの」エリサは喜びを感じながら言った「明らかに、アブラハム王は、「神」を表すのにシュメール人が既に使用していたものと同じ記号を使用している。一つの星に、それを取り巻く十二の惑星。そして偶然にもそれは、私たちが今まさに掘り起こそうとしている「器」の蓋に刻まれていた記号と同じなの」

「それに意味があるとは限らんぞ。単なる偶然かもしれん。何百もの意味にとれる記号の可能性もある」

「そうお思いになって? では、これはいかがかしら?」エリサはそう言うと、最後の写真を大佐に見せた「ポータブルX線撮影装置で、器の外側を撮った写真よ」

大佐はただ驚きに目を見開いて見入るしかなかった。

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Возрастное ограничение:
0+
Дата выхода на Литрес:
15 мая 2019
Объем:
111 стр. 2 иллюстрации
ISBN:
9788873042150
Переводчик:
Правообладатель:
Tektime S.r.l.s.
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